手紙コンテスト『輝いているあなたへ』 

手紙コンテスト
第5回は

5年後・10年後の自分へ
大人になった息子や娘へ
期待と不安を胸に新天地へ向かった君へ
今まで家族を支えてくれた 定年を迎える旦那様へ
伝えたいことを手紙にしてみませんか?
未来の自分や大切な人へ
想いを綴っていただきました

感謝でいっぱいの温かいお手紙を本当にありがとうございました

第5回手紙コンテスト
受賞者


ゆうゆ 様

松村 美登里 様

伊藤 聡 様
小見出し
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受賞作品

金賞 ゆうゆ 様

「輝いているあなたへ」

私は、運送会社で総務・経理を担当し、今年で勤続30年になります。

最初は分からない事だらけで、税理士事務所や社会保険事務所、職安など直接出向いて、いろいろ勉強をしまくった20代。

仕事や環境にも随分慣れたが、人間関係は幅広い世代の集まりで、やはりいろいろ難しく、家に帰っては悔し涙を流していた30代。

ほとんどの仕事を任されるようになって、仕事に対する意見が言えたり、対人関係で悩む人の相談にも乗れる余裕が出てきた40代。

毎日の仕事で経理の難しさにぶち当たり、悩む日もあれば、相手と衝突しイライラしたり、感謝されて舞い上がったりと、日々忙しい感情の毎日ですが、解決すると、また明日から頑張ろうって気持ちにリセットされる瞬間が心地よく感じる自分が好きで、やりがいもあります。

まだまだ人生は長い!

今いる全従業員を私が最後まで面倒みようと思う勢いでいます。

と、言うことはあと30年以上は頑張らねば!

目標は、90才まで現役バリバリのスーパー事務員になる事。

未来の私に今伝えたい。

今の輝きを忘れずに一歩一歩前に向かって頑張れ、自分!

絶対に頑張れるよ、私。

銀賞 松村 美登里 様

「三年後の自分へ」

私は、現在、八十九才と、六カ月です。
人生百年時代に近づき、もう少し頑張れる気がします。そこで、八十九年をふり返ってみるのもいいかな、と、ペンを取ってみました。
 私には、二人の娘がいます。一か月前から長女家族と、同居する事になり、現在、四人家族で、嬉しく思っています。波乱万丈の人生です。小学校に入学するまでは、平和で豊かな幸せな生活でしたが、戦争が始まり、国民学校一年生に入学しました。広島、長崎に、原子爆弾が落され、東京、大阪など大都会でも、空爆で多くの人がなくなり、焼け野原となりました。悲しい、最も残酷な戦争でした。終戦となり、戦災孤児も多く、二、三年のうちには、満州、中国、朝鮮から、引揚船で、多くの人が帰り、私の家にも、朝鮮から一家族七人が離れ家の方に住む様になりました。食糧難の時代で、苦しい思いそれと、悔しかっただろうと、子供ながら思ったものです。中学校は、三年、そして、高等学校の受験です。アチーブメントテスト、〇×式でまるでパズルの様でした。初めての試みでずいぶん変わった形式で、テストという感じもあまりしませんでした。合格し、入学できましたが、あまり嬉しいとも、感じませんでした。男女共学となり、校内も、多少、リフォームされた様です。私の頭の中には、勉強の事より、家の将来が気になっていました。卒業と同時に、家土地夏蜜柑畑など、広い敷地が、家財道具までも売りに出され、借金の返済に当てられ、住む家もなくなりました。父が復員して、叔父の会社で働いていましたが、倒産、負債の多くを負い、責任を取り、やめさせられました。商売を一人で始めたもののうまくいかなく、借金も増え、どうする事も出来なくなったのです。家族八人小屋風な家で、その日暮らしが始まりました。何とか高校を卒業し、働き始めたので、食べる事には困りませんでしたが、つくづく貧乏のつらさが身にしみて情けなかったです。でも心までは貧乏になりたくありませんでした。誰も文句は言わず、仲良く過ごせたのが何よりでした。結婚し、家を離れ、何とか人並みな生活ができるようになり、父母の気持ちも理解できる様になりました。私も、力及ばず八十九才まで残念乍ら、自分の家を求める事は出来ませんでした。さて、世の中、衣食住も充実した都会には、高級マンション、大型マンションが建ち、地方でも賃貸住宅、公営住宅が建ち、住みよくなりました。生活も豊かになり特に、電気製品、家電の進化はめざましく、白黒テレビからカラーテレビになり、美しく、大人も子供もテレビを観ると同時に、家族団らんを楽しみに、帰宅も早くなりました。あらゆる電気製品のおかげで、それも電気メーカー各社が、製造販売し、私などでも買い揃えることが出来、時短で事が進み、おかげでパートタイムで働く主婦が増えました。そのうち、高価な電子レンジ、エアコンも普及し、食料も豊富になり、日本全国各地にチェーン店、スーパーマーケットが経ちました。デパートを縮小した感じで、野菜、果物、魚類、肉類、雑貨まで、しかも、地方密着で買い易くなりました。パックに入って、少量のパックもあり、一人者は助かりました。私は、スーパーマーケットに、パートとして働いていましたので、帰りに買物が出来、助かりました。衣類も、化学繊維のおかげで、ダウンジャケット、羽毛ふとん、ヒートテック等々、軽くて、暖かいものが好まれるようになりました。洋服も、ナイロン、ビニール、ポリエステルなどのおかげで、安く、しかもファッション性に富んだ、若い人がぱっと見て、とびつく様なものから、老若男女、自分で選べ、サイズも豊富。買い易くなりました。
 さて、これはもっと前になりますが、嬉しい世界の大ニュースです。ソ連の宇宙衛星、世界で初めて有人飛行をガガーリン少佐が成功し、“世界は青かった”と言ったそうです。不思議の一言。それから、アメリカは月面着陸に初めて成功しました。
交通機関の発達もめざましくて、新幹線のおかげで遠くまで早く行けるようになり、路線も、東海道新幹線から、東北新幹線、九州までも、北陸新幹線、北海道新幹線、便利になり、あちこち行きたいです。いずれ、リニアモーターカーの時代もくるでしょう。道路も車社会となり、高速道路、自動車道(各地)、通勤も楽になった様です。おかげで旅行会社のツアーで旅行したものです。
 来年には二女の居る栃木県那須塩原に行く予定です。孫が萩ばあちゃんは歩くのが一番遅いと言った事を思い出し、五才のひ孫から言われないか心配で、毎日散歩し、足腰をこれ以上弱らぬ様努力しています。会うのを楽しみにして、家族葬、墓じまいなど、時代も変わりましたが、三年先はどうなっているのでしょう。知りたい、お墓の中かも。

入選 伊藤 聡 様

「五年後、十年後の自分へ」

五十歳を迎えましたね。

五年前の私からおそらく同じ道を歩んで来ている事と思いますが、目の前に見える景色は如何ですか?

時間の経過の中で様々な感情のやり取りをしてゆく過程で、改めて解らなかった、見えなかった、気付かなかった小さな理解を得られている筈ですよ。

背伸びも欲張りもいらない身の丈なりの大切な贈り物だと思います。

どうか自分の歩幅で、自分のペースで一歩一歩前に進んで欲しいです。

その積み重ねが次の五年にまた繋がってゆけば、また新しい何かしらのきっかけに出逢えるものと信じたいです。

喜怒哀楽と付き合いながら精一杯生活を。四十五歳の今、足元からエールを放ちます。

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