「あの日の私へ」

手紙コンテスト
第3回は

あの日の自分へお手紙を綴っていただきました。

目を閉じれば、瞼の裏にまるで昨日のように想い出が巡り
感情が溢れる。

『年を重ねてからわかった様々な事。かつての自分に物申す。』

『あの時の自分の行動があったから今の自分があります。ありがとう、私。』

『○歳の私、○○をしようとしていますね。実はその後こうなります。頑張れ。』

『今苦しんでいる私、大丈夫、あなたの心の靄がきっと晴れる日が来る。』

『思い起こすと心が揺さぶられるあの想い出、当時の自分へ。』



あの日の「わたし」への想い。

あの日の自分が居たからこそ「今の幸せ」を、
「有難さ」を、感じられる。

第3回手紙コンテスト
受賞者


北斗星 様

たっちゃん 様
(順不同)
 吉 哉郎 様
 ひょうたん 様
 茉莉花 様
 黒木 久子 様
 
※当初入選数は3枠でしたが
素敵な手紙が多く

もう1枠増やしました
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受賞作品

金賞 北斗星 様

「あの日の君へ」

15歳の3月、北海道の片田舎、公立高校入試合格発表の日、

掲示板に自分の名前がなく茫然としていたね。

何度も、何度も見直したけど、やはりなかった。

人生、最高に惨めなときだった。

何よりも嫌だったのは、友達からの哀れみだった。

消えてしまいたいと思っていたね。

 

その惨めさを乗り越えて、翌年君は、とても高い水準で同じ高校に合格するよ!

基礎学力を高めることができたせいで、その後の勉強も順調。

公立大学にストレートで入学し、一部上場企業へも入社する。

何よりもステキなことは、1年遅れたせいで、本来出会うことのできなかった女性と

恋に落ちるんだ。やがて、結婚、3人の子供に恵まれる。そのかわいさたるや、

この世のものとは思えない。

 

今、考えてみると全て高校入試の失敗のおかげなんだ。

人生とはつくづく、不思議なもの。

 

そこで、君への教訓を捧げる。

失敗、成功という一事象に、一喜一憂するのではなく、地道に自分の道を行くように。

君らしくないかい???

 

失敗を思いっきり悔やみ、成功を思いっきり祝い、人生を雄々しく、華やかに生き抜こうよ。

君らしいね!

銀賞 たっちゃん 様


何であんなこと言ったんだよ。
あやまりたい。
戻りたい。
その気持ちを超えるものが、いまは、ない。

「うるせえよ」

あの日僕は母に言い放った。

友達のゲーム機を壊したことを叱られ、
最後は一緒に謝りに行かされる。
母は僕より深く頭を下げ、終いには涙をこぼした。

あれから自分も親になり、気づけば娘も反抗期。

生活態度を注意すればついつい喧嘩になってしまう。
「言いすぎて悪かったな」
そう謝るのはいつも自分。

だが親になると、あの時の母の気持ちが少しわかる気がする。
態度が悪くても、勉強ができなくても、親の願いはただひとつ。
子どもには幸せになって欲しい。
だから一緒に泣くし、言い合いもする。
時に戸惑いながらも、前を向くことを忘れない。

今ではゴメンナサイとアリガトウを教えてくれた母には感謝しかない。

だから十四の俺に、四十四の俺がいま言いたい。


「いくつになっても、親は最強で、最高だぜ」って。

入選 吉 哉郎 様

『今から四十七年程前の俺へ』


おいお前!
よく大学に復学したよなぁ…感心したよ。

現役で大学に入ったのはいいけれど、入学早々から遊び歩呆けて留年し続け、結果二歳年下の連中と一年生からやり直すことになってしまったんだよな。
学生の身で「飲み・打つ・買う」の世界にどっぷり浸かり、バイト先の社長から「早く学業に見切りをつけてうちに来い!」と言われる始末だ。

しかし、両親と職員に諭されて復学することになったんだよな。
しばらくは何とか頑張ったけれど、顔見知りもいなくて、ガキっぽい年下の同級生達とは馴染めなかったもんなぁ。

彼等にしてみれば、いつも斜に構えた不良の近くには寄り付きたくもなかったはずだ。
その時のお前は、復学はしたものの学業に身が入らず、将来の展望もないままバイト先に世話になろうとしてたんだよな。

そんな時だ、あいつが現れたのは…

あいつは、いつも末席で太々しく座っている俺の前にツカツカと寄ってきて、「先輩!参加しませんか!?」と同窓コンパの案内チラシを差し出したんだ。

面倒くさそうに俺が一瞥すると
「同じクラスになった誼ですから一緒に楽しくやりましょう!」
と人懐っこくニコッと笑って引き返して行ったっけ。

お前はコンパ当日も学校には行かず、パチンコ屋で時間を潰していたもんなぁ。
タバコを吸おうとポケットに手を突っ込むと、例のチラシが出てきたんだ。
捨てようと思ったけれど、最後のチャンスを捨て去るようで捨て切れずにいたんだよなぁ…

時間が刻々と過ぎていき、コンパの開始時刻が迫っていた。
するとあの人懐っこい笑顔が浮かんっできてなぁ…
「みんなが毛嫌いする中、あいつはよく俺に声をかけてくれたよなぁ…」と思うと、不思議な力に導かれコンパ会場に向かったんだ。

会場に着いた時は開始時刻をとうに過ぎていた。

一寸躊躇しながらも会場に飛び込むと「ウォー」という歓声と共に拍手で迎えられたんだ。
すると、あの笑顔が近づいてきて
「待ってました先輩!じゃないか、仲間だ!」
誰かが「駆けつけ三杯!」と叫んだ。
「ヨッシャー!やったろうじゃないか!」仲間に入った瞬間だった。

それから四年間、年下の仲間達に支えられ無事に大学を卒業できた。

あの瞬間が俺の人生のターニングポイントだったんだよ。
勿論、にっこり笑ってチラシをくれたあいつには感謝している。

それにしても、よくぞお前はあの時コンパ会場に向かったよなぁ…
今の俺があるのは、あの時のお前の行動に尽きる。

本当に感謝している、ありがとう。

入選   ひょうたん   様

「大きくなっても小さくならないものはなあんだ?」

七歳の息子がなぞなぞを出す。

ちょうど会社が破綻し、民事再生の手続きの最中だった。
大きくなって、小さくならないもの、か。
「借金かなあ」
息子は、ちがう、とだけ言ってどこかへ消えた。

その後私は五十歳で妻を亡くし、六十歳で脳梗塞に。
奇跡的に一命をとりとめたものの、麻痺の残る身体では移動はおろか、箸も掴めない。
台所の延長コードを見て、このまま死んだら妻のところに行けるかなあなんてバカなことまで考えた。

だけど息子は渾身的にリハビリに付き合った。
「やればできる。諦めなければ絶対できる」と。

そして二年後のフルマラソンを目指そうと言う。
正直驚いた。
だけどその気持ちがすごくありがたかった。

今ならあの時のなぞなぞの答えがわかる気がする。

大きくなっても小さくならないもの。


それは『夢』だ。

入選  茉莉花  様

5年前の春。

桜はもう散り、生暖かな雨の降る日。
慣れない革靴に足を痛めながら、あなたは中学校に入学しました。 

憧れの制服を着る高揚感よりも、これから始まる新たな生活への期待よりも、不安ばかりが勝る入学式。

そんなの当たり前だよね。

小学校でいじめられて、その人達と同じ中学に通うのが嫌で嫌で仕方がなくて逃げるように中学受験をしたんだもん。
「またいじめられたらどうしよう」ってそんな事ばかり考えて入学したのなんてきっと私1人だったんだろうね。 

そんなあなたに高校3年生になった私から言いたい事があるの。
それはね「逃げてばかりではなく立ち向かえ」って事。

正直に言うね、あなたは中学でも人間関係のトラブルに巻き込まれます。

何なら担任とも相性は悪いし、スマホを没収されちゃうし、地獄のような日々があなたを待っています。

でも大丈夫。

それも中2までの話だから。

中3になってから担任も変わって、ずっと仲良くしたかった子達と一緒にいられるようになって、毎日が楽しくて仕方がなくなります。
本当に今が幸せで、将来のことなんて考えたくなくなるくらい。

でもね、私には後悔があるの。
それはある子が差し伸べてくれた手を払ってしまった事。
自分が苦しくてたまらなかったからって、あの子の手を拒否する事はなかった。

そのせいで、今も私はその子とちぐはぐな距離感でいる。
ねえ、あなたならまだ遅くはない。
どうかあの子の手を握って。

目の前の利益より、自分の気持ちを大切にして。
苦しみは時間が癒してくれるけど、後悔は本当にずっと残り続けるから。  

そんな事言っている私も受験勉強から逃げてこの手紙を書いているんだけどね笑  


決してあなたは1人じゃない。
私もいるし、助けてくれる子もいるから。

どうかそんなに不安がらないで、前を向いて。


5年後の未来で待ってます。

入選 黒木 久子 様

今の私から「あの日の私」


大きな病気もせず、77歳まで健康で暮らしてこられたのは、小さい時からのおかれた環境だったと思う。

専業農家の9人兄妹の7番目に生まれた私は存在感のない子供の様だった。

土地の名士の父は名誉職のみ受け、現金収入のない母は大変苦労したようだ。
それに姉がいて家の経済は姑が握り晩年母が愚痴を言っていたそうだ。

子供達が大きくなり兄姉は大学に、そのために田畑を手放し三町余りとなり

私も学校から帰ったら農家の手伝いをしクラブ活動もできず、朝学校に行く前野菜の出荷の荷造りをして、早朝姉と一時間余りの青果市場に野菜を出荷して帰ってから高校に行ったものだ。


母は農薬の中毒にかかって六十八歳で亡くなった。

もう50回忌を迎える。

私の縁談は近所からも多くあったが知人の紹介でサラリーマンと結婚した。
転勤をして宇部市に帰りやっと自分の家を建てたのが主人が三十五歳の時、当時は金利が高く七%くらいだったと思う。

十年くらい金利を支払う状態だった。今は低金利だが。
百五十坪の土地に家を建てたのだが両方の家から援助なし。
主人は大学だけ出してそれ以降援助なし。
粉骨砕身の二十年が始まった。

 

三人の子供達は国立大学が条件で進学し結婚して今は地元におらず自分で生活を築いている。
孫も八人、誕生を祝い、進学祝い大変だ。

私は孫達に自立させるように伝えている。

十八まで面倒を見てあげるから後は考えて行動するように。
また、いやなことから逃げるな、その子の能力に合ったやり方、勉強だけが全てではないと。


人生は登山と同じ、アップダウンのくりかえしと言っているが
孫へ私の言葉が通じると良いが他県に暮らしているのでどこまで理解出来ているか不明だ。

 

主人も四十年余りサラリーマンの生活をして無事定年を迎え数年私と国内旅行をした。

七十歳の時主人は大腸ガンとなり
直腸を切ったのでトイレが近くなり
今は近所の里山をウォーキングしている。

私の方は日本百名山の踏破をしていたが
コロナの関係で他県には行かれず、県内の山を登山している。

まるで自分の人生そのものアップダウン達成感を味わい、自然と一体になれる。
自然は優しく自分を受け入れてくれる。
娑婆から出られない自分を包み込んでくれる。と思う。

 

もうひとつ十年間趣味としているのは俳句です。
奥の深さは外の趣味と同じです。
見方が変わります。
季語が入りますから。

市の芸術祭にも五回ばかり入選しました。
時々友人達と吟行にも行きひとりでも吟行します。
新しい発見を見出せますから。


母からは丈夫な体で産んでもらっただけであとは自分で切り開いて行きました。


ただただ両親に感謝です。

手紙コンテストについて

2020年9月10日 第1回手紙コンテスト『あのとき届けたかった手紙』コンテスト締め切り
2020年9月29日 第1回手紙コンテスト受賞者発表
2020年11月 第2回手紙コンテスト開催
2021年4月 第3回手紙コンテスト開催
2021年5月 第3回手紙コンテスト受賞者発表
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